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村上 博幸

博幸さんの幼少時代について教えてください。

子どもの頃はスポーツが大好きで、特に球技が得意でした。小学生から野球をやっていたこともあり活動的で、いつも元気に外で遊びまくっていました(笑)。
S級S班に一緒に昇格した兄(村上義弘)とは年齢が5つ離れているので、時には一緒に遊ぶこともあったけれど、いつも一緒ではなかったですよ。興味のあることも、遊び方もバラバラでしたね。
僕のほうがスポーツが好きだったし、なんでもこなしていたかな。野球は自分がやりたくて始めたことだし、球技だけではなくマラソンも得意だったんです。

野球が好きだったのに、なぜ競輪選手を目指したのですか?

それは、兄の影響が大きいですね。幼い頃はプロ野球選手に憧れていましたが、リトルリーグや中学校の野球部は遊び感覚で楽しんでいたんです。プロ野球への道は現実的ではないし、突出した才能もないので、中学校最後の試合で負けたのと同時に野球は辞めました。
当時、競輪選手になっていた兄の勧めもあり、高校に入学してから自転車部に入部。練習を積み重ねているうちに、少しずつタイムが伸びていったんです。思っていた以上に練習は辛かったけれど、記録を出せるようになって、少しずつ競輪選手になりたいという思いが強くなってきました。

今だから話せる、競輪学校のエピソードを教えてください。

競輪学校に合格するまでに時間がかかり、4回目にやっと合格したんです。実技はまあまあだったんですが、学科が不得意だったんですよ(苦笑)。
入学するまでがしんどかったこともあって、入学後の競輪学校は想像していたよりもラクに思えました。入学する前のほうが練習量も多かったし、スケジュールが決められていた競輪学校のほうが、自分で全て決めてやっていくよりも迷うことが少なかったのでそう感じたかもしれません。
規則は厳しかったですが、自分で洗濯をしたりと今までにない経験ができたことは、ちょっと楽しかったです(笑)。

実際に競輪選手になってみて、自分が思い描いていた競輪選手のイメージと同じでしたか?

イメージしていた以上に過酷で「甘かった」というのが率直な気持ちです。
「競輪選手は自分との孤独な戦い」とよく言われますが、経験を重ねていくごとにその言葉が重くのしかかる。新人の頃はわからなかったこと、気づかなかったことが、今になって少しずつ理解できるようになったのかもしれません。その言葉の重みをかみしめながら、改めて競輪選手の大変さを実感するようになりました。

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