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加藤 慎平

S級S班に昇格した率直な感想を聞かせてください。

正直、ホッとしました。S級S班に昇格したことより、KEIRINグランプリに出場する権利が近づいたわけですからね。
グランプリレースに出場するためには、S級S班という階級にいることが前提になるし、S級1班からグランプリを狙うのは、本当に苦しい。
自分は、S級1班からKEIRINグランプリに出場できる権利を得るまでのその苦しさを味わっているから、S級S班に決定した嬉しさよりも、やっと勝負をできる土俵に立ったという気持ちでしょうか。

※編集部注:
「KEIRINグランプリ」とは毎年12月30日に開催される、一年の総決算ともいえる競輪界最高峰のレース。
GⅠ優勝者、賞金獲得額上位者ら計9名が競輪界最高の賞金をかけて争う。
競輪選手を目指したきっかけを教えてください。

野球大会を初日で敗退、そして引退。することもなく無気力で毎日を過ごしていた、中学3年生の夏休みのことです。暇つぶしにテレビをつけたら、競輪中継でビッグレースの決勝戦が映し出されました。競輪も自転車も興味もなかったけれど、他に見たい番組もなかったので、競輪中継をぼーっと見ていました。
すると、あっという間にレースが終わり、表彰式で優勝した選手が誇らしげに賞金ボードを掲げたんです。なんと、そこには「40,000,000円」という数字が。400万円じゃなくて、4,000万円ですよ! 毎月のお小遣いが4,000円だった僕にとって、衝撃的な金額だったわけです。優勝した選手は覚えていないんですが、金額だけは明確に覚えています(笑)。
わずか数分間で、こんなにも稼げるなんて夢のような世界があることを知り、体力なら自信もあるし、この一瞬で競輪選手を目指そうと決意しました。

競輪と運命的な出会いを果たし、競輪学校を受験するまではどのような道のりを辿ったのでしょうか?

どの高校に進学しようかも決めていなかったので、進路相談のときに「競輪選手になるにはどうしたらよいのか」と、思い切って先生に話しました。幸いなことに、先生がとても親身になってくれて、競輪選手になるために必要な情報をすべて調べてくれたんです。
そこで、まずは、自転車競技の名門高校といわれる岐南工業高校に進学して、自転車部で3年間みっちり練習をし、18歳になったら競輪学校を受験するのがよいのではないかということになりました。
先生方のおかげで、ビジョンが明確になったし、レールも敷かれたわけですから、迷うことなく岐南高校を受験し、そのまま本当に自転車部に入部して地獄の3年間が始まりました。

地獄の3年間とは、どんな高校生活だったのでしょうか?

うそ偽りなく、自転車一色の3年間でした。自転車部は、自転車競技のエリートのような人たちが集まって、みんな必死。練習量もはんぱじゃないし、休みがない! 1年間のうち練習のない日がたった2日間、12月31日と1月2日だけなんです。元旦は、初乗りといって練習。信じられないでしょ? 
とにかく苦しくて辛かったけれど、ただひたすら毎日自転車に乗っていました。工業高校だし男子ばかりだから、カノジョもいなかったですよ(笑)。
でも、競輪学校を一回で合格して、一日も早く競輪選手になりたいという目標があったから、辛い練習にも耐えられたんだと思います。

----自転車に3年間本気で取り組んで、競輪学校へストレートで合格しましたね。

それは、本当にラッキーでした。高校3年生の10月に受験して、運良く一発で合格しましたからね。競輪学校に入学してからは、練習自体はそれほど大変ではなかったものの、一日のスケジュールが、すべて決められていることが苦痛でした。4人部屋で一人になれる時間もないし、自由にならないことが多い。しかも、同期の中では最年少だったので茶坊主でしたよ(笑)。
ただ、高校3年間と競輪学校の1年間の辛さがあるから、今がある。たいていのことにはめげない忍耐力はついたのかもしれません。

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