僕は、京都府宇治市の自然に囲まれた中で育ちました。身体を動かすことが好きでしたが、スポーツ好きで万能というわけではなく、近くの野山を駆け回ることが遊びの定番。自転車に乗るようになってからは、友達と競走ごっこのようなこともしていました。
クラスの中ではリーダー的な存在で、「みんな、行くぞー!」と友達を遊びに誘っていましたね。ワンパク少年だったけれど、自分で言うのもなんですが、家では手伝いもするしっかり者の長男だったんです(笑)。
競輪ファンの父の影響で、物心ついた頃から競輪場に連れて行かれてレースを一緒に見ていました。当時は、中野浩一さん、井上茂徳さん、滝澤正光さんの三強時代といわれて、競輪の全盛期で華やかだったんです。競輪のことはわからないけれど、幼いながらに目の前に広がる真剣勝負の世界、その光景があまりにも印象的で、その瞬間に競輪選手になりたいと思いました。小学校の卒業文集にも「夢は、競輪選手」と書いたほどです。
中学生になってからも、競輪選手になりたい気持ちはあったけれど、何をどうすればいいのかわからない。自転車競技部があったわけでもないので、クラブにも所属していなかったのです。悶々とした日々を送っていましたが、中学2年生の頃、あまりにもその思いが強くなり「絶対に競輪選手になる」と心に決めた翌日、突然見ず知らずの自転車競技部の練習場所に向かいました。そこで、レーサーに乗っている選手を自ら止めて「その自転車はどこに売っているんですか?」と、尋ねたんです。
あまりにも突然の出来事にその選手も、驚いていましたね。今となっては、その行動力に自分でもびっくりしますよ(笑)。
でも、そうやってひとつずつ競輪選手になるために必要なことを知り、個人的に自転車に乗り始めたんです。その後は、自転車部のある高校へ進学して、自転車競技を始めました。
----競輪選手になりたい一心で、ご自身がひとつひとつ行動を起こしてきたんですね。
今、思い返してみると、競輪選手になることは運命のようなものを感じています。
夢を実現するために他の人から見れば突拍子もない行動をしてきたのかも知れない。けれど、自分が動くたびにたくさんの出会いがあって、協力してくれる人が現れる。本当に不思議だと思います。
自転車に乗り始めた頃から競輪選手を目標にして練習をし続け、高校3年間も自転車競技者としてそれなりの実績を積んだという自負もあり、競輪学校を在校1位で卒業するという自分なりのビジョンがありました。
それが、競輪学校入学後に打ち砕かれてしまったんです。僕よりはるかに才能のある選手がたくさんいて、競技経験のない適性組で入学した人たちにもわずかの間に、自分のタイムを追い越されてしまった。彼らは、たった3ヶ月自転車に乗っただけなんです。かなりショックを受けましたね。こんなはずではなかったのに、僕はなにをやってきたんだろうと挫折のような気持ちを味わいました。