ぼんやりとした記憶ですが、小学校1年生くらいだと思います。「大きくなったら、何になりたいの?」と聞かれると、「競輪選手」と答えていたんじゃないかな。その頃、周りの友達が野球選手に憧れるように、僕は競輪選手に憧れていました。
----夢が競輪選手とは、競輪が身近なものだったのでしょうか。
競輪好きな親父の影響です。競輪場に連れて行かれてレースを見ているうちに、「競輪選手になれば、短時間に自転車を速く漕ぐだけで稼げる」と思い始めたんです。まあ、子供の単純な発想ですよね。今となっては、とんでもない職業を選んだと思っています。厳しい世界だし、ある意味でこれが失敗のはじまりですから(笑)。
まずは、競輪選手になるために陸上競技を始めました。なぜかというと、競輪学校の受験方法には、技能試験と適性試験という二種類の試験があり、適性試験は自転車競技未経験者でも受験資格があることを教えてもらったからです。技能よりも適性で受験したほうが、僕にとっては早道のような気がしたので、中学、高校と陸上で基礎体力を養って、身体づくりをすることに決めました。
----すばらしい戦略で、無事に競輪学校入学にされたわけですね。
戦略ではなく、陸上競技でそこそこ成績を上げていれば合格できる試験だっただけですよ。100メートル走は得意分野ですし、エルゴメーター(※)さえクリアすれば絶対に落ちることはないと思っていましたからね。ラッキーなことに、1回で合格して良かったです。
※エルゴメーター
固定式自転車。これを漕いで最高速度や回転数を測定する。
規則正しすぎる生活で、とにかく厳しかったです。そしてなにより、周りにいる同期たちが強い。精鋭が集まっているわけですから当たり前なのですが、自転車競技の経験がない僕にとっては別世界でしたね。 特に、僕がいた61期は、現在S級S班の神山くん(神山雄一郎)をはじめ、強い選手が揃っていたので、卒業時の成績は100人中85位だったんです。決して、僕がさぼっていたわけじゃありませんよ(笑)。この成績が影響してデビューするまでは、「自分は競輪選手として通用するのか」ただただ不安だったことを覚えています。
デビュー当時は、落ちこぼれのようでちょっと恥ずかしかったですが、今はまったく気になりません。
実際にレースで走るとわかりますが、競輪学校での競走とデビューしてからのプロの競走は別物だと思っています。振り返ってみると、学校はあくまでも実践のための訓練の場。自転車の動かし方を覚えて、競走の運び方、追走することを覚えるような場所なのですから、卒業後は自分で努力をしていくしかないんです。