HOMEINTERVIEW神山 雄一郎
「オッズを背負うことに、プレッシャーはあまり感じません。」競輪学校在学時から期待されており、デビュー当時から常に人気が高かったので、それが当たり前だと思っていた。「オッズが高いことで変なプレッシャーを感じたり、気持ちが変わるわけではないです。むしろ、自分が期待されず、人気がないほうがさびしいですよ。」
理想の男性像を尋ねたところ、プロ野球選手の工藤公康選手をあげた。「今なお現役にこだわり続けている姿勢がすばらしいです。」工藤選手が出演する番組や雑誌、新聞の記事は必ずチェックしている。「同世代ということもありますが、アスリートという面では、野球も競輪も同じ。工藤選手のトレーニングやライフスタイルから学ぶことも多いんです。真似できるものがないか探しているんです。」神山の探究心は計り知れない。
現在の練習は、日々の身体のコンディションに合わせて行っている。それは、長年培った経験によるものであり、自分にとって必要なトレーニングのみを行っているという。練習はその日だけではなく、練習日の前夜から始まっていると話す。前夜にメニューを決めて、翌日の練習のイメージトレーニングをするというのは、競輪が好きで研究熱心な神山選手ならでは。
通常レースで使用するフレームメーカー。原田製作所(福岡県糟屋郡)が生産するフレームで、オーナーの原田徹朗氏は研究熱心なビルダーとしても知られる。神山は、高校時代に雑誌を見て、直接原田氏に連絡をして製作を依頼した。プロになってからも乗り続けており、ビルダーと調整を重ねながら、完璧フレームを常に求めている。
デビュー後順調にトップの座に上り詰めたのではなく、成績が低迷、苦悩の時代があった。その間、絶対に勝ってやるという強い意志を持ち、朝4時に起床して街道練習に出かけ、午前中は70キロ午後は50キロ自転車に乗り、その合間にウエイトやローラー練習という1日10時間以上に及ぶ壮絶なトレーニングメニューを己に課した。「まるでスポ根アニメですよね。朝起きたら身体がふらふらで、窓ガラスに頭をぶつけて割れたこともありました。」その結果、1993年に地元宇都宮競輪場で開催された「第36回オールスター競輪」で優勝、低迷期を脱するきっかけを掴んだ。
ホームバンクである宇都宮競輪場は、栃木県宇都宮市に位置する。神山は、GⅠ初制覇を成し遂げるなど、相性のいいバンク。バンク練習もここで行っているため、練習を見学するファンもいるとか。2010年8月にはGⅠレース「第26回読売新聞社杯全日本選抜競輪」の開催が決定している。
あまりテレビを見ないそうだが、お笑い番組が好きだという。「好きな芸人さんはいませんが、自転車から頭を切り替えるためにも、とにかくおもしろくて笑えるものが好きです。」とのこと。よく見る番組は、『しゃべくり007』『アメトーク』『松本人志のすべらない話』。
競輪学校に入学するときに、既に競輪界の一番になりたいという野心を持っており、在校中のレースもすべて勝負だと思っていたとか。デビュー当時の目標選手は、滝澤正光選手。「プロになって競輪を少しずつ理解しようとしたとき、滝澤さんのレースを見て本当にすごい先行選手だと思いました。他の選手と比べて、レース展開、スピードともに際立っていましたね。」 その目標選手に近づくため血のにじむような努力をして、トップへの階段を登っていった。
競輪学校時代、在校中に121レースを走り、1着になったのが110回、2着が7回、3着が3回という輝かしい成績を収めている。失格は1回あったが、これも1着だったそう。もちろん、在校1位で卒業した。「3着以下になったことはないんです。自分でも驚異的な記録だと思います。なのに、選手になってからこんなに勝てないのが納得いかないよ(笑)。」
「集大成」 毎年、あえて目標を掲げることはありませんが、今年は、ただ1つ。KEIRINグランプリで優勝することを目標にしました。昨年末、久しぶりにグランプリレースを走ってみて、なんとなく手ごたえがつかめた気がしたこともあり、決意しました。
今までは、グランプリに出場することを念頭に置きながら、一戦一戦に臨んでいましたが、それではトップ中のトップになれない。グランプリでの優勝は別格で、もうこのタイトルを手に入れるしかないので、目標にむかって邁進したいと思います。