デビューしてから、とんとん拍子で順調に勝ち続けて新人王にもなり、それなりの成績を残していました。でも、2004年3月のダービーの一次予選で9着になってしまい、そこから成績が沈んでしまいました。今思えば、自分の中で浮ついていた気持ちもあったのかもしれません。
ちょうど同時期に、いつも一緒に練習をしていた永井清史(プロフィールにリンクはる)が、アテネオリンピック候補だったのに、最終選考で落選してしまったのです。
そこで、2人とも惨めな気持ちになっているのではなく、どん底から這い上がって結果を残そうと前向きに練習をするため、2004年の夏に闘心會を立ち上げました。
----「闘心會」という名前の由来は?
実は命名したのは、永井なんです。とても良い名前をつけてくれたと思いますね。 当時、僕もまだ20代半ばで、周囲から見ればちゃらちゃらした若い練習集団だったでしょうし、自分たちには「闘う心」がないから、勝てなかったんでしょうから。 ちなみに、ひらがなで闘心會を書いてみると「かとうしんぺい」なんですよ。後付けかもしれませんが、「慎平さんを中心にした会だから」と、永井がぼそっと言っていました(笑)。
競輪選手では、比較的早い時期に始めたと思います。新聞や雑誌と違って、ファンの方と双方向でつながっている感じがして、おもしろいですね。
闘心會の仲間とは、プライベートも一緒に過ごすことが多いので、ブログではあえて練習やレースのことではなく、僕や仲間たちが興味のあることを書いています。
音楽が好きだから、音楽ネタも多いし、パンクロックから浜崎あゆみまで、フェスは年間7,8本、ライブをあわせると20本以上も実際に足を運びますよ!
バカなことばかりやっていると思われてもいい。競輪選手は特別じゃなくて、同世代の人たちと同じ感覚でいることを知ってほしいんです。