
レースで使用するフレームメーカーは「マキノ」。ビルダーの牧野政彦氏が手がけるフレームは技術力が高く、他の競輪選手にも愛用者が多い。「マキノを選んだのは、自分に合っているからですが、強い選手が乗っているところもポイントです。」山崎は、アマチュア時代から乗り続けている。




座右の銘として掲げた言葉。デビュー当時は「不撓不屈」であったが、4回転に挑戦するにあたり、自分の未知なる可能性を追求するため「無限」という言葉に変更した。「あと2、3年はこの言葉を胸に刻んで競輪に挑みます」。自分には、無限の可能性があると信じて突き進むという。



競輪選手の悩みの種は、デニムやパンツのサイズ。眼鏡やスーツをさりげなく着こなす何気におしゃれな山崎選手も同様。太ももが発達しているため、既製品は合わず、他の多くの選手と同様、スーツはオーダー。デニムは、すべてドルチェ&ガッバーナ。その理由は、「自分の体格に合ったデニムが、たまたまこのブランドだったんです」とのこと。


大ギアとはギアを重くした、ギア比率が大きいもの。 4.00(通称 4回転)のギアは山崎の代名詞。 現在の競輪界では大ギアが主流となりつつあり、その大ギアブームの火付け役は、山崎だといわれているが「僕がたまたま4回転で優勝して注目されただけで、もっと昔から大ギアで勝負していた選手もいる。むしろ、その選手たちが先駆ですし、そこに目をつけたのだからすごいと思います」。




いつも、オッズが気になって仕方がないと本人は言う。「お客さんは、僕の競走を想定して車券買って下さるからその期待は裏切れません。実際に、山崎らしいレース展開となるとカマシ捲りを考えているはずで、車券もそれを想定して売れている。予想と違った走りをされたら、お客さんが怒るのはもっともですし、やっぱり、自分が逆の立場だったらムカつきますよ(笑)。」ファンを裏切る走りはしたくない、と続けた。



「僕のペダリングは癖があって、ギアを重くしたのは、ギアが軽いとA級選手に負けるくらい弱いからです。」山崎のペダリングはペダルの下位置で踏み込むため、軽いギアが合わないらしい。それを克服するために、師匠と二人三脚で試行錯誤しながらギアを上げていったら結果に結びついた。


男性の理想像や憧れる人物を尋ねたところ「坂本龍馬が、理想的かな」と答えた。「龍馬にはさまざまな逸話がありますが、もしそれを信じるならば、自由な発想で常識にとらわれないところに惹かれます。好き勝手にやれていいなあとも思えるし(笑)」。どこか、山崎にも似たところがあるのかもしれない。

山崎の師匠、自転車競技でも活躍した添田広福(福島・49期・引退)は、名指導者とも言われる人物。「アマチュア時代から、ずっと僕を信じて面倒を見てくれた師匠です。競輪学校を落ち続けても、絶対あきらめるな、今がダメでも最後に受かればいいんだといってとにかく励まし続けてくれました。師匠がいなかったら、競輪選手になれていないと思います。」今の精神力と成績は、師匠が築いてくれたとも話す。



デビュー当時から注目されていた山崎。デビュー1年後にはS級に特別昇級している。2005年の第5回ヤンググランプリで優勝、2006年の第57回高松宮記念杯競輪でGI初優勝、2007年には第48回朝日新聞社杯競輪祭で、2度めのGⅠタイトルを獲得。その後の活躍ぶりは目覚しい。




2009年GPの車番を決める抽選で山崎選手が引き当てた車番に周囲にどよめいた。6番のグリーンのユニフォーム。6番車は4番8番とともに、ファンから「ヨーロッパ(468)」と呼ばれて、実力的にやや劣った選手が入ると言われ、穴番とされることが多いからだ。タイトルホルダーになってからはグリーンのユニフォームを着ることもなかったが、その辺りを気にしないのも山崎選手らしい。2010年SSポスターでは堂々と緑のユニフォームで登場している。
