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石丸 寛之 INTERVIEW at 2009/02/02

甘いマスクに秘めたストイックなアスリート魂

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石丸 寛之

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石丸 寛之
Q.01 女性ファンからの人気が高いですね。小さい頃から、モテ人生まっしぐらですか(笑)

うーん、周りがそういうふうに作り上げているだけですよ(苦笑)そういう感覚はないですし、「モテました」なんて、自分では言えないでしょ(笑)

僕は、小さな頃からプロのスポーツ選手になるのが夢でね。とにかく足だけは速かったし、スポーツだけは誰よりも一生懸命だったんです。学年に一人はいるじゃないですか、スポーツなら何でも得意な男の子。まさにその典型(笑)授業中はシュンとして下を向いているのに、体育の時間になると、誰よりもはりきるタイプ。毎年運動会が楽しみでしたよ。

小学校や中学校は野球とサッカー、高校時代は陸上に明け暮れました。陸上は岡山県大会に出場して優勝しました。未だリレーの記録は破られていないはず。ホント、「脚」自慢だったんです(笑)

Q.02 いろいろなスポーツを経験した中で、なぜ競輪選手を目指したのでしょうか?

なんとなくですが、野球やサッカーのセンスがないことはわかっていましたから、そこでプロを目指そうとは思わなかったですね。センスって必要ですから。

きっかけとなったのは、高校の陸上部の先輩が競輪学校合格の報告に来て、そこで競輪選手という道があることを知ったことかな。通っていた高校の近くに競輪場もあったし、自転車は誰よりもこぐことが早かったのも影響してね(笑)。プロのスポーツ選手になりたいという思いはゆるがなかったので、そこから競輪選手を目指す気持ちになったんです。

Q.03 競輪学校で一番つらかったことはなんですか?

競輪学校を卒業してからずいぶん時間も経って忘れちゃったなあ・・・。
当時はとにかく頭を坊主刈りにすることに抵抗がありました。だって20歳って一番多感な時期じゃないですか。今はそんなことはないですけど。それから、時間の拘束。一日のスケジュールが決まっていて集団生活を続けているわけですよ。電話もなかなかできない、10時には寝るような生活でしたから。そういえば、小雪が散らつく朝に、上半身裸で乾布摩擦をしたこともありましたっけ(笑)

まあ、練習も相当辛かったけれど、それは全く苦痛にはならなかったですね。
将来のための訓練ですから。しかも、みんなが同じ練習しているわけで、とても良い刺激になっていました。

Q.04 岡山は選手層も厚く、選手同士の結束も強いですよね。

そうですね。岡山県からは、若い子たちがプロ競輪選手として毎年きっちりデビューしています。昔は高校の自転車部が盛んで強かったみたいです。隣の県の広島はサッカーや野球のチームがあるけれど、岡山はそれがないから身体能力が高い人が自転車に流れてきたのかもしれない(笑)。

選手同士の結束が固い理由は、競輪場が1つしかないのに、選手数が多いからじゃないですか?おそらく160人くらいの選手が登録されているのではないでしょうか。一方、神奈川県には4つ、福岡県には2つ競輪場があるんですが、登録選手数は岡山県とそこまで変わらないんですよ。岡山県の場合は1つの場所で160名が練習するわけですから、当然、顔見知りになる機会は増えますよね。

僕がプロ選手になった頃は、トップクラスの先輩方が特別競輪でみんな決勝に残っていましたよ。ここ数年は不振でしたが、少しずつ強くなっているような気がします。

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