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父親が競輪選手だったので、その2代目ですよね。競輪にはすんなりと入りやすい環境にはいました。競輪選手を意識したのは高校3年生のとき。でも卒業後にすぐに競輪学校に入ったわけではないんです。
実は、しばらくの間はフリーターでふらふらしていたんですよ。大学に行ってなんとなく学生生活を送るのが嫌で。昼夜が逆転したような生活でね(笑)。その頃に親父が「競輪、がんばってみろよ」と背中を押してくれたことがきっかけで、心機一転、競輪学校を受験することを決めたんです。
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陸上を続けるという気持ちはなかったですね。陸上でオリンピック選手になったとしても、先が見えていますし。陸上だけじゃ、おもしろくないないだろうなぁとも感じましたね。
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競輪学校に合格するまでの生活は、それこそ大変でした。親父が長崎の選手だったので、現在の師匠を紹介してもらって、長崎で一人暮らしをはじめました。厳しい環境に身をおかなくちゃだめだと思ってね。毎朝5時くらいに起きて自転車に乗るような生活を続けたんです。練習は相当きつかったですけどね。それは陸上も同じだったから頑張れました。
晴れて競輪選手になった今だからこそ思うのは、競輪は決して安住することができない厳しい世界ということかな。プロ野球やサッカーは年俸制で1年間の報酬が決まっているけれど、競輪は毎年1月にゼロからスタートするわけです。昨年いくら稼いだとしても、それは昨年だけのこと。毎年良い結果を残すためには、一戦一戦が真剣勝負で、勝ちを積み重ねていかないといけない。だから、がんばった分だけ収入は増えるけれど、練習をさぼったらそれが自分に跳ね返る。シンプルなことだけど厳しいですよね。
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自分の中でかなり波はありますが、ここ一番というときにいい感じで集中できてるんじゃないでしょうか。レースに向けて集中し気持ちが入っているときは、練習もきちんと消化されて、疲れもとれている状態なんです。1ヶ月や2ヶ月、自然とそういうサイクルができていれば、そのまま調子も上がっていくような気がしますね。そのサイクルがうまくまわれば、レースのときにビッグウェーブがきて、いい勝負ができるんじゃないかという感覚がありますね。それだけはなくて、運もいいですよ(笑)だから、昨年末のグランプリ優勝もチャンスが巡ってきたというか、そういう感じだったんだと思います。
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トレーナーもつけないし、自分の身体の声が聞こえるような気がするから、自分の直感と感性で練習しています。だから波があるんですけど(笑)
たとえば、サドルに座ったときにフィットしてない感じがあったら、練習量を増やすとかね。たぶんこの感覚は競輪選手だったら皆さんわかると思います。逆に調子がいいときは、練習量を減らす。「やりたくねえなぁ」というときは練習しない。もちろん、練習をしたからこそ平常心を保てるというのもあるけれど、メニューをこなせなくて不安になるのもいやなんです。年間通してずっと一緒のペースでいるためにも、結構テキトーにやってますよ(笑)