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スケートから競輪への転向は、スケート選手としてソルトレークシティオリンピック出場後ということもあり、いろいろ考えた末の結論でした。
競輪選手になりたくて始めたわけでもないし、スケートを嫌になって辞めたわけでもない。この先、スケートでは食べていけないことはわかっていたから、職業として「競輪選手」を選んだという感じですね。
競輪学校入学の年齢制限が撤廃されたことで、まだ選手として活躍できるということも後押ししました。第2の人生を競輪にかけてみようと思ったんです。
グランプリに出場して優勝すれば賞金は1億円。がんばった分だけ稼げるということもトップ選手を目指すための大きな目標になりましたね。 -
プロの世界ですから、年間を通してのレースや調整はやはり大変だと実感しています。人それぞれいろいろな考えはありますが、自分の場合は他の選手よりデビューが遅い分、賞金を稼ぎたいという気持ちも強いです。他の選手は20歳ですけど、僕は30歳からデビューですから。そういった意味では、他の選手よりも苦しいことや辛いことは多かったのかもしれませんね。でも、デビューして5年。競輪に関して覚えなければならないことが山ほどあるので、競輪は、まだ勉強の最中。肉体面での進化はもうこれ以上ないでしょうが、まだ学ぶことが沢山ある、そういう気持ちで臨んでいます。
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目標設定をすることが自分なりの決まりごとですね。
1日、1年と、はっきりした目標を決めてやってきたからこそ、自分の今があると思います。競輪を始めたからという訳ではなく、スケート時代からずっとそうしてきました。朝目覚めて「今日は一日、どう行動をしようか」って決めるんです。そうやって1日1日が積み重なって、1年の目標を立てていく感じです。なかなか達成はできないんですが(笑)自分の場合は、そういうスタンスで物事を行動しないと何もしないで終わっちゃうんでね。だからこそ、目標を立ててから行動するタイプなんです。
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目標設定もそうですが、育った環境も関係しているのかな?僕は、北海道の網走で育ちました。冬場に風邪もひかないですし、乾燥なんかも気にならない。冬はマイナス20度くらいになるし、流氷も来ますからね。網走と関東の寒さは比べものになりませんよ。やっぱ、根本的に強いんじゃないですかね(笑)たぶん、競輪界では僕が最北端出身で、一番の自然児ですよ(笑)
だから、みんなが寒いと言っているのが不思議なくらい。関東地方は冬でも暑いのでTシャツでも平気です(笑)
(※編集部注:この日Tシャツで取材に現れたのは武田選手だけでした)